2011年御翼11月号その3

100歳になられた日野原重明先生

  

 2011年10月4日、クリスチャン医師の日野原重明先生が100歳の誕生日を迎えられた。京都大学医学部を卒業して最初に受け持った16歳の少女が亡くなるとき、延命措置ばかりして、心のケアをしてあげられなかった。それ以来、終末期医療に関心を持つようになり、現在でも、末期がんの患者の緩和ケアを、現役医師として聖路加(ルカ)国際病院で行っている。平成5年には、ホスピス専門の病院をつくるなど、日本における終末期医療の開拓をしてきた。「(終末期には)自分が生を与えられているという感謝の気持ちを、自然に表せることがあれば良いですね」と日野原先生は言う。
 先生は年に100日以上は東京を離れ、全国で医師としての立場を超えた、様々な活動をボランティアで行っている。その一つが、各地の小学校で行う「いのちの授業」である。子どもたちと命や平和について語るのだ。「次の時代を作る人が必要だから、その使命感のために(いのちの授業を行っている)」と先生は言う。自分には社会のために働く使命(ミッション)が与えられている、と強く感じるようになったのは、昭和45年、58歳のときに遭遇した「よど号ハイジャック事件」である。北朝鮮に行くために赤軍派が日航機を乗っ取ったが、日野原先生は偶然、その飛行機に乗客として乗っていたのだ。生きて帰れるかどうか分からない恐怖の中で、4日間を過ごした。助かった後、特別な感情が湧いてきた。それは、「なくしたはずの命を、再びもらったという思いから、かつて経験したことのないほど謙虚になった。これからの人生は、すべて与えられた命なのだ」というものである。与えられた命をこれからどう使えば良いのか、日野原先生に道を示してくれたのが、静子夫人である。ハイジャック事件で心配してくれた人たちに対し、日野原先生が送ったお礼状に、夫人はある一文を書き添えた。「いつの日か、いづこの場所かで、どなたかにこのうけました大きなお恵みの一部でもお返し出来ればと願っております」と。「恩を受けた人に返すのではなく、誰かニード(必要)を持っている人に恩を返したい」ということなのだ。日野原先生は、教会の日曜学校で子どもたちを教える静子さんに惹かれて、二人は70年前結婚した。それ以来、神と人のために生きるという同じ目標に向かって、二人で歩んで来られた。今は認知症を患う夫人と一体感を持っている先生は、ご夫人と共に過ごす時間を大切にしておられる。
 ハイジャックされた日航機「よど号」の中で、日野原先生は、魂の救いに取り組んだドストエフスキーの小説『カラマゾフの兄弟』を読んだ。その第一巻のとびらには、イエス様の言葉「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一にてあらん、もし死なば、多くの実を結ぶべし」(ヨハネ伝12:24)があった。先生はこの聖句を繰り返し読み、強く迫るものを感じた。そして、162ページの長老ゾシマの言葉を特に印象深く読んだ。「お前にはイエス様がついてなさる。イエス様を後世大事に守 りなさい。そうすればイエス様もお前を守ってくださるからな。大きな悲しみにも出会うであろう、が、その大きな悲しみの中にも、お前は幸福を見出すじゃろう。―悲しみの中に幸福を求めよ」。
 人が悲しみの中に幸福を求められるのは、イエス様の十字架のあがないによって、悲しみの中から善が生み出されるからである。マイナスをプラスに変えてくださるのがキリストの十字架である。なぜならば、人は自分の行いによって義とされるのではなく、苦しみの中でイエス様のあがないによってのみ義とされる信仰に立ち返るとき、罪や死の力を越えて生きられるようにしてくださるからだ。死ぬべき者に命を与えてくださる神の愛を、ハイジャック事件を通して知った日野原先生は、それからの生涯を自分の栄光を求めず、神と人とに献げる決意を新たにした。それゆえに、100歳でも現役医師として、人々に命と希望を与えられるようになっているのだ。

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